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【実話】差別、鬱病、親友の死を乗り越えた先にあった物

ドイツ1年目、19歳だった大空少年はある田舎の7部のチームに入団した。

そこには頼りになる日本人の先輩が1人と、本当に優しいチームメイトもたくさんいた。

でも、残念な事に差別を受けることもあった。

言葉も分からない、小さな10代の日本人。

まあ馬鹿にされて当然だけど、当時の大空少年はそれに打ち勝つ強さがなかった。

何を言っているか分からないと思っていたんだろうけど、単語単語は分かるし、何よりチラチラ見ながら笑って話していれば誰でも馬鹿にされてることは分かる。

そんな状態の中、一緒に住んでいた唯一頼りだった日本人の先輩が、大怪我で入院した。

多分、あれはたったの4〜5日だったと思う。

でも、当時の大空少年には大きすぎる出来事で、言葉も分からない、知り合いもいない、その中で差別を受けるとこに練習に行き、精神は崩壊していった。

日中は1人でずっと喋っていたし、夜は眠れないし、家の外から物音が聞こえるだけで恐怖だった。

外に出るのも恐怖だった。

おそらく軽い鬱病状態だった。

そんな状態のまま試合の日が来て、チームメイトの迎えが「そろそろ着くよ」と連絡が来た瞬間、日本から一通の電話が鳴った。

そこで、親友の死を告げられた。

試合に行くのをやめ、すぐに帰国をするも、通夜も葬儀も間に合わず、顔を見ることなくお別れとなった。

辛かった。

現実が分からないくらい辛かった。

でも、それよりも悔しかった。

あいつとはよくこんな話をした。

「いつ結婚して、子どもは何人いて、こんな仕事して、こんな家に住んで、こんな車に乗って...」

あいつには、その未来がもうない。

俺にはあるのに、あいつにはない。

俺とあいつの違いは?

何もない。

なのに、俺には未来があって、あいつにはない。

死ぬほど悔しかった。

この世の中の理不尽さに腹が立った。

でも、その時にきづけた。

「人は死ぬ」

それは80かもしれないし、明日かもしれないし、今かもしれないけど、必ず死ぬ。

だから決めた。

絶対に後悔しない人生にすると。

「今」を必死に生きると。

ドイツに戻り、戦った。

実力で見返した。

しばらくして、語学学校が始まり、ただ、そこは本当に田舎で、大空少年以外は全員が難民だった。

紛争で兄弟、親を亡くした人。

家族に会ったことがない人。

家族が1人もいない人。

現実とは思えない話を聞いた。

でも、みんな本当に明るかった。

しかも、1人でいる日本人のために、サンドイッチやお弁当を作ってきてくれたり、果物をくれたり、家に招待してくれたりした。

涙が出た。

こんなにも辛い思いをしてる人たちが、こんなに人のために生きることができるって、人ってすごいんだなって、心の底から思った。

今生きてることは、本当に素晴らしいことだと改めて感じた。

間違いなく寺田大空は変わった。

シーズン終わり前、監督にも、代理人にも、セミプロか、そこに繋がるチームを紹介してくれと伝えた。

2人とも「お前には無理だ」と言った。

受けさせてくれないなら日本に帰ると伝えた。

そしてブレーメンに入れた。

そのおかげで、最高のドイツ2年目を過ごすことができた。

その後も、自分がやりたいと思ったことは、誰がなんと言おうとやるようにしている。

世の中は理不尽だ。

思い通りになんかいかないし、予想外のことが起きるし、権力や金持ちの都合の良いように動く。

だから、自分で人生を作るって決めた。

一回切りの人生を国や社会や周りの人の理不尽に左右されず、自分にとって最高の人生にすると決めた。

誇張なしに、今すぐ死んでもいいと思ってる。

そのくらいのつもりで人生の選択をしている。

そして何より、人生は『人』。

自分の人生を、『人』と生きる。

本当に人生は一回しかないよ。

今は二度と戻ってこないよ。

迷ってる場合じゃない。

少しでも誰かの励みになれたら嬉しいです。

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